しつこいようですが(笑)

またまたピーの記事発見!


楽曲の訳詞通じ日中懸け橋に ザ・タイガース元メンバー、瞳みのる氏

2011.2.9 23:23

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北京市内のアパートで、ドラムの練習をする瞳みのるさん

 【北京=矢板明夫】日中の草の根交流の重要性が叫ばれる中、北京を拠点に、音楽を通じて両国の懸け橋になろうとしている日本人がいる。1960年代に一世を風(ふう)靡(び)したグループサウンズ「ザ・タイガース」のドラマーだった瞳みのる(本名・人見豊)氏(64)。代表曲「花の首飾り」など日中の楽曲の訳詞を介して、相互理解が深まることを願っている。

 18歳のとき、沢田研二、岸部一徳両氏らとバンドを結成した。デビュー曲「僕のマリー」をはじめ、「モナリザの微笑」など次々とヒットを飛ばした。人気絶頂期の71年1月、武道館コンサートを最後に解散。瞳氏は忽然(こつぜん)と芸能界から姿を消した。

 瞳氏は「睡眠も満足に取れないロボットのような生活に疑問を感じ、勉強したいとの欲望が強かった」と振り返る。京都の定時制高校に復学。慶応大に進み、中国文学を専攻した。慶応高の漢文教師を33年間勤め、中国語の入門書なども著している。

 教師時代は華やかな過去を封印した。2人の子供には成人するまで“芸能人”だった事実を隠し通した。81年の再結成時も参加を断った。メンバーと会うことさえ拒み続けた。転機は2008年。沢田氏らがテレビで瞳氏にささげる曲「ロング・グッバイ」を歌ったことを聞いた。返歌を作って贈り、同年12月、東京・渋谷の居酒屋で38年ぶりに再会した。

 音楽への思いはずっとくすぶっていた。「歌舞伎と京劇を日中それぞれに紹介する活動に携わった。中国の古典音楽の素晴らしさに感動し、定年後は日中の音楽交流の懸け橋になろうと決心した」という瞳氏は、昨年3月に退職すると北京に部屋を借りて移り住んだ。

 今、取り組んでいるのが歌詞の翻訳だ。日本の歌30曲、中国の歌130曲を訳し終えた。日中の知人に披露したところ、「漢詩の教養がうかがえる」「相手の国民性が分かる」などと好評を得た。

 「派手な世界と地味な世界の両方で向上心を失わずに生きてきた。2度脳出血で倒れて心境が変わった。残りの人生、好きなことをしたいと思った」

 ザ・タイガースが再び活動を始める動きがある。今度はスティックを握るつもりだ。復活の日に向け練習を続けている。今月25日には自叙伝「ロング・グッバイのあとで-ザ・タイガースでピーと呼ばれた男」も刊行される。


「2度脳出血で倒れて心境が変わった。」って…

1度ではなく2度も…だったのですね。


2月8日の朝日新聞ですが…

うち、朝日新聞ではなかったのでペタ遅くなりました。

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フ~ン…こっちは本名の人見豊なんだ~








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catsママ

いつもど~も!

みーたさんこんばんは!

週刊現代ちゃんと読んだはずなのに…e-330
すっかり忘れてますねぇv-12

「寂しい」って言った時はちょっとドキッ
実感こもってたよね…v-395

でもこの写真みると楽しそうで、ちょっとホッ

これからちょこちょこメディアに登場してくれるといいなv-344

2011年02月12日 22:44

comment avater

みーた

またまた

v-238ありがとうございますv-237

しつこく、ピーを追って頂けると 私も寄り甲斐があります^^

「2度の脳出血」は、週刊現代の記事に出ていなかったっけ?
私、こんなピーを一人で放っておけない!と思ったけど
ちゃんと、調理師免許まで取ってたんだねv-271
でもでも。。。「寂しい」て言ってた。 本当かしらv-238

朝日新聞の記事は、昨日ここに寄った後 
ネットでこの記事を見つけて、読みました。
もしかして、同時期だったかもね(^_-)-☆

ピー、すごく嬉しそうv-238v-238
どんな話してたんだろう。。。?
こんな笑顔、近くで見てみたいな~v-10

上の記事のストライプのセーター?もよく似合ってるv-238
お腹、全然出ていないわねv-237

2011年02月12日 01:37

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