いよいよ今日から『遠い夏のゴッホ』大阪公演が始まりますね

またゴッホに会いたいけど…大阪、無理だ~

キャスト、スタッフの皆さん体調には気をつけて…

大阪でも観客のみなさんを感動させて下さい



『敗者』…

なんかサラッと軽く書いてあるのですが、そこかしこに深いものが…

読んでいてそこまで役に自分を追い込まなくても…というか

ホントにまじめに取り組む方なんだなぁ…と

あっ、そう書くと重そうですが、ぜんぜん…

朴訥ですがとっても読みやすく、写真は殆どなくいわゆるタレント本とは違います。

自分では上手く言えないので…

書評をご紹介!

ちょっと長いですが…

これを読んで興味を持って下さる方が居たら嬉しいです。





松山ケンイチ「人参リンゴジュースは朝飲むとビンビンになる」

エキサイトレビュー2013年3月7日 11時00分


昨年(12年)の大河ドラマ「平清盛」に主演した松山ケンイチが、初の書き下ろし単行本を出版した。

その名は『敗者』。

大役・平清盛として過ごした1年間を軸に、俳優・松山ケンイチの面と素顔の松山研一の面、両方のエピソードが日記形式で、たっぷり書かれている。

東日本大震災→大河ドラマ主演決定→結婚→大河撮影開始→第一子誕生→大河撮影の日々→第二子誕生……と、かなり読み応えのある出来事が続く。松山ケンイチは27歳にして、すごく濃密な体験をしていた。

まず、大河ドラマの主演に自ら立候補した、という告白に目を疑う。
松山ケンイチ、果敢である。

本を読み進めていくと、小学校の学芸会でやった映画でも、主役から順番に、役がもらえるまで立候補し続けたことを明かしていて(その時は主役になれず校長先生役に決まった)、子供の頃からガッツのあったことが読み取れる。

松山ケンイチに関しては、平清盛のイメージや、代表作である「デスノート」のLや「デトロイト・メタル・シティ」のクラウザーさんのイメージはあるものの、役の印象が濃すぎて、本人のことはよくわからないという人も多いのではないか。
ところが、この本を読むと、役の濃さに隠れていた松山ケンイチ自身がとっても面白い人なんだな〜と気になってくる。

この手の本は、往々にしてファンのためのものになりがちだが、この本はそうなっていない。本の中で、松山ケンイチがとってもあけすけで、しかもそれがとっても素朴なものだから、親しみが湧いてくるのだ。
ガッツがあるのにガッツ押ししてない。適度な素朴さとふんわり具合が間口を広げている。
その最たる部分が、シモネタがけっこう多いところ。
売れてない時の所在なさを表現するのに、〈ちんこをいじっている時間が長くなった〉と書くところは、文学的ですらある。
ほか、便意に耐えながらトイレを貸してくれるコンビニを探して道を歩き続けたというエピソードはハラハラものだ。
また、旅番組で高校生へのアドバイスに「ゴムをつけなさい」と言ったらカットされていたという経験から、松山は性の大切さを説きはじめる。そこからドラマや映画が完成する過程でカットされる部分があることの是非へと、話題をつなげていく力技の構成も、微笑ましい。

まだまだある。
〈今でもアダルトビデオで興奮するがセックスの勉強にならない〉という告白と主張。〈この人参リンゴジュースは朝飲むとビンビンになる〉という文章のあとに、〈ちんこの事ではない〉と加えるサービス精神。
うんこネタはひとつで良さそうなものに、〈飲み過ぎてうんこ漏らすのだけは絶対嫌だ。〉なんてことをサラッと入れてくるところにも松山の人間性を見る思いだ。
ストレスでお腹を壊しがちなこと、大河のクライマックスで風邪を引いてしまい、それが子供と妻に移り、また自分に返ってきてしまうという、実にほのぼの家族エピソードも楽しめる。

断っておくと、松山ケンイチは、「カメレオン俳優」と呼ばれ、役にハンパなくなりきってしまうことで高く評価される俳優なのだ。
その人が、上記のようなことばかり書いていていいのだろうか?
いや、心配しないでほしい。
これらシモネタやほのぼのネタが、1年間に及ぶ「平清盛」の撮影話の中に、チョコチョコ挿入されていることで、俳優・松山ケンイチの苦闘が一層浮かび上がってくるのだ。
平安時代末期、無頼の平作だった少年時代から、平清盛として平氏棟梁になり、武士としては太政大臣にまで上り詰める63歳までの波瀾万丈な人生を、松山は演じ抜いた。自分で立候補したこととはいえ、それは20代の若者には、かなり大変な挑戦だ。

過度のプレッシャーを背負い、悩みながら、様々な方法を試していくことで、ひとつひとつ山を乗り越えていく松山。
シリアスな闘い(仕事)に疲れた時、子供の笑顔に癒される。我が子の笑顔から、役の笑顔のヒントを掴むと言う部分では、生活と演技が密接に関わっていることがわかる。
実生活が役のヒントになることもあれば、反対に、平清盛の感情を考えることで、自分になかった発想に気がつくこともある。
〈自分の家族より仕事が大事というのは理解出来ない〉と書いているが、その一方で、演技にものすごく打ち込んでいることもビンビン伝わってくる。
例えば、何度か書かれている「笑顔」のこと。演技において、笑顔が嘘になることは気になるものだ。演技を嘘にしたくない俳優・松山ケンイチの純粋さが飾らない言葉で綴られる。

ところどころフラッシュバックして、「男たちの大和/YAMATO」「カムイ外伝」「GANTZ」「人のセックスを笑うな」「ウルトラミラクルラブストーリー」など、過去に出演した映画のエピソードも入ってくる。
その時の体験が今につながっているという、俳優の仕事に興味のある人にも大変よい参考書になる。

黒澤明、山田洋次監督やなどの映画や、昔の大河ドラマ「新・平家物語」などを見て、三船敏郎や仲代達矢の演技を学んでいることも書いてある。ブルース・リーの演技の話も興味深い。松山ケンイチ、努力家である。
折りにつけ、大河ドラマのスタッフの優秀さにも触れていて、歴史ある大河ドラマの作り方もわかるようにもなっている。
おまけに、章ごとに「平清盛」のあらすじも記され、巻末には「平清盛」ロケ飯リストという岩手、京都、広島と松山がロケの時に食事をした店のリストまでついているという細やかな本だ(編集者の丁寧さが感じられます)。

演技で大事になる「心を開くこと」を、たくさんの経験から学んでいく松山。プライドを捨てて広い心で未知なるものを受け入れることを知ったからこその、シモネタ、ほのぼのネタの開示なのかもしれないと思うと感動的だ。

松山ケンイチが、本名の松山研一になったり、また芸名の松山ケンイチに戻ったり、過去の経験と現在の状況を、行きつ戻りつリンクさせていきながら、最後の最後に〈忘れない〉という言葉を出してきた時には、ハッと胸を掴まれた。

何を〈忘れない〉のかは、読んでみてほしい。
そして今、松山ケンイチが「敗者」という本を書いた意味は何なのか? 「敗者」の指すものは? 読んでる最中もずっと気になるし、読んだ後も長く引きずられます。(木俣冬)







画面には映りようもないものを

川上未映子

 誰かが誰かになりきっている映画や芝居を観て楽しむこともあれば、自分自身にしかわからないようなちょっとした感情のふりを他人に印象づけたりと、大げさなものから些細なものまで、わたしたちは日々、演じたり演じられたりすることにかかわりながら生きている。そんなふうに多かれ少なかれフィクションを必要とするのには人によって様々な理由があるのだろうけど、その中には「人はひとつの人生を生きることしかできないから」ということもあるのかもしれない。生まれて、生きて、必ず死ぬ。そんな当たり前なこと、誰もが頭ではわかってはいるけれど、今生きている人のうちにそのすべてを経験してそれについて語ることのできる人はひとりもいない。まぎれもない自分の人生とはいえ決して体験できないことがあるからこそ、それが嘘であっても作りごとであっても、求めること、触れることをやめられないのかもしれない。
 震災、そして同年に撮影の始まった大河ドラマ「平清盛」の主演。結婚。はじめての子育て。「わい」という魅力的な一人称で綴られたこの日記は、役者、松山ケンイチのこれまでとこれからと、そして今について、考え、感じていることが率直に書かれたものであると同時に、そんなフィクションをめぐる運動の記録としても、興味深い一冊だ。
 二十代半ばの青年が、その一年間で平清盛の六十四年を演じるということは、いったいどういうことなんだろう。想像力、陶酔力、変換力、言葉による理解力、あるいは筋力……いったいどのちからをいちばん必要とするのだろう。もてるもの、まだもっていないものをも総動員してどんなことがあっても平清盛をとらえようとする著者の心身のうちにどんな変化があらわれ、また何が起きてゆくのかを、読者はその朴訥としながらもどこか挑発的&チャーミングな語りによってときどきふわっと笑わされ、ときには苦悩をともにしている錯覚にさえおそわれながら、夢中になって辿ってゆく。家族との心やすまるひとときにも清盛が顔をだし、ふりかえる思い出のなかにも清盛の姿を見つけてしまう。生まれたばかりの赤ん坊を抱きながら、おなじ手で刀をつかみ、死に別れの涙を流す。家族に出会えたよろこびに満ちながら、身内を斬って白目をむいて嘔吐する。引き離そうとすればやってきて、追いかければ遠のいていってしまう平清盛。戸惑いながらも、しかし、つねにつよい確信に満ちている。そんな著者の日々を、真剣に味わう。
 そうするうちに、完成された画面には映らなかったものを、映りようもなかったものを、わたしたちはいくつも目撃することになる。渾身の演技のカットにつぐカット。却下されるアイデア。採用されるのは膨大な映像の中のほんの一部だ。選びぬかれ、画面に映ったものを、その豊かさを支えているのは、いつだって画面には残らなかった無数のものたちであるということにあらためて気がつく。わたしたちの人生もまたそのようにして選択されたものを積みあげて成立しているのだということもあわせて。本書は、フィクションの成立する瞬間だけが示しうる、ひとつの真実をはっきりと照らす。
 読後、妙な高揚感に包まれるのは、おそらく著者の持つ若さのせいだ。比喩でもなく、また年齢とも関係がない、ある種の人々だけが持ち続けることのできるじじつとしての、若さ。その渦中にある心身から届けられるエネルギーのせいだ。後悔しようと振り返ろうと立ち止まろうと、その文章は言いようのない自信に満ち溢れている。自分はこれから前方へ向かってゆく最中にあるのだという眩しい確信の中から伝わってくる言葉には、敗者、という言葉の意味を転倒させ、輝かせるちからがある。復活の特権はいつだって敗者にあり、まだ勝ったことのない敗者はこれから勝つことができる者でもある。そして、そんな戦いとしての人生を全力で生きてみるそのことを、著者は心から楽しんでいるようにみえる。役者、松山ケンイチの言葉による運動の記録を、ぜひ堪能してもらいたい。

(かわかみ・みえこ 作家)











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ご無沙汰ご無沙汰\(◎o◎)/!

お誕生日おめでとうございます。

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comment avater

catsママ

ノンキ様

コメ返が大変、大変遅れまして…
申し訳ございませんm(__)m
ひらにひらに…ご容赦を(+_+)

PC不調のため、今日は調子が良さそうと思うと
自分のサイト<お気にサイト巡りで
大変失礼をいたしました。

ロケ飯リストのお店、さっそく行ったのですねv-237
日記で拝見v-238
その行動力に脱帽です。

2013年03月15日 18:48

comment avater

ノンキ

No title

「サイン会」のも「お誕生日」のも 
お邪魔できずに申し訳ない状況v-356

エキサイトレビューのタイトルは、編集者さんが
あざとくキャッチをねらってつけたのが 見え見えで・・・

川上さんの書評の載った 新潮社PR誌「波」
まず全国にあるJ堂に問い合わせてなく、
次に地元の比較的大きく老舗らしい書店に問い合わせて
ゲットできましたv-221
清盛入道のイラストがカワエエ

「敗者」巻末のロケ飯リスト
隣町のお店が載っているので
近日中行ってみるかな?

2013年03月10日 13:45

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