今日がGOROさんのデビュー記念日

トップ動画は現在頑張っているシングル「でも好きだよ」です

祝45周年として書いてきたディスコグラフィー

まだ途中の1995年までしか書けませんでしたので…

こちらはおいおい追加するとして…

取りあえず本日は記念日なので…

今日は先日発売されたギターアルバムについてのMusicshelfさんの記事をご紹介します

かなり長いです(笑)

なので、他にも書くことあるので第2弾書きます…


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特集 野口五郎 – GORO -
Special Interview
マルチプレイヤーGOROの魅力に迫る




デビュー45周年を迎えた野口五郎。5月にはCOTTON CLUBでのスペシャル・ライブも決定し、アニバーサリー・イヤーがスタート。そんな中、MUSICSHELFでは昨年GORO名義でリリースしたインスト・アルバムに注目した。歌手でもあり、ギタリストとしても知られる野口五郎だが、ギターのみならず全ての楽器を操るスーパー・マルチプレイヤーであることは音楽ファンの間では周知の事実。そんなマルチプレイヤーぶりを存分に発揮した作品が昨年リリースした『Playin’ It All ~My Fingers Sing J-Female Melodies』だ。音楽好きとはどういう人のことを指すのか、話を進めていく中でそんなミュージシャンGORO(野口五郎)の真髄が見えてきた。(編集部)

今回のアルバムでは僕がひとりでやっているので
最初から化学反応を想像しなきゃいけない



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――インストゥルメンタル・アルバム『Playin’ It All ―My Finger Sing J-Female Melodies』を着手した経緯からまずは教えていただこうかなと思います。

最初に今回のアルバムのお話があった時、僕の中でジャズやフュージョンはやりたくないなと思ったんですね。それは例えば、アドリブをやってもその一過性のアドリブが果たして良かったのか悪かったのか、それを永遠に1枚のCDに残すのはどうなんだろうという思いが頭によぎったからなんです。というのは、ジャズやフュージョンに関していえば、僕にとっての遊び心を表現するものであり、戯れる場所なんですよね。その戯れをひとつの音源にするような作品は今回に限っていえば、ちょっと違うなって気がしたんですね。そういう作品は以前にも出していますしね。だから、今回リリースする作品はそういうものではないものにしたいと考えたんですね。そう思っていたからこそ、“J-POPの女性ヴォーカルの曲はどうですか?”と提案された時に直観的に“面白いな”と思ったわけです。だけどね、いざデモテープを作ってみたら、これが本当に難しかったんですね。というのは、僕がメロディーを崩して弾くんだったら、僕がやる必要がないんですよ。普通にギターが巧い人はいっぱいいるので、その人たちがそのコード内でアドリブを演奏すればいいわけですから。だけど、それは44年間メロディーを作家の方からいただいてそれを大切に歌い続けてきている僕が、700曲をレコーディングしてきて7000回近いコンサートをやりながら歌ってメロディーを大事にしてきた僕がやることではないだろうと。だからこそ、可愛い後輩たちの曲を僕が弾いた時にどう弾けばいいんだろうって悩んだんですね。どう表現していこうかと。それでこんな難しいことはないなと思ったんですよ。

――そこで壁にぶつかったわけですね?

そうなんです。1曲目の「雪の華」(中島美嘉)とか「ありがとう」(いきものがかり)とかぐらいで、どうすればいいんだろうと思ったわけですよ。そこでこれは全部自分ひとりでやらなきゃダメだと。ドラム、ベース、アレンジも全部自分でやろうと思ったんですよ。青柳誠さん(NANIWA EXPRESS)という素晴らしいピアニストの方にサポートについていただきながらやるしかないなと。で、レコーディングを始めたわけなんですけど、最初ベースを弾きながら、ドラムのキックはこうなるからベースはこういうフレーズから広がっていくと、たぶんこういう化学反応が起きてそこの部分でギターがこうなるからこういう化学反応が起きるだろうって化学反応を予測するんですね。普通だったら、ミュージシャン同士が集まって演奏しながら化学反応が起きるものなんですけど、今回のアルバムでは僕がひとりでやっているので最初からそれを想像しなきゃいけないんですよね。その辺の苦しさはありましたよ。

――そういう意味ではどう演奏するかってことが大切になってきますよね。だからこそ、その難しさと対峙するというか。

そうなんですよね。どう演奏するかは本当に難しかった。でね、この作品が終わった頃に何人かのギタリストに聴かせたんですよ。その時の感想が「これは大変だわ」って。「俺たちミュージシャンはメロディーを伝えるんだけど、五郎さんは詞を伝えようとしている」って言われたんですね。それは僕にとって最高の褒め言葉でしたけど。

――確かにそれは素敵な褒め言葉ですね。

嬉しかったですね。だから、このアルバムを聴いて音楽好きの人たちの中で何人かが僕のことをわかってくれたらいいなと思っているんですよ。例えばね、ドラムひとつあげてもスティーヴ・ガッドがいたり、ハーヴィー・メイソンがいたり。ハーヴィー・メイソンがよく使うフレーズを使いながら、音色はジェフ・ポーカロの明確な音色を使うとかっていう、そういうことを自分で想像しながらやっていったんですね。だから、1曲の中に3人ないしは4人のミュージシャンのフレーズが登場しているわけですよ。そんなことを想像しながらプレイするのは面白かったですね。“こんなことやるの? こんなバカ、僕しかいないだろうな”って(笑)。

――(笑)そういうお話を伺うだけで楽しくなってきますね。それだけじゃなく、実際にアルバムを聴いても五郎さんがプレイすること自体が好きで楽しんでいる様子がしっかりと音から伝わってきますから。

それは嬉しいですね。もっと言えば、リズムセクションを録ってから、最後にギターを入れるんですけど、その時に自分が弾いたベースを聴いて煽られましたもん。

――それは凄い。

“お~お~”って(笑)。なんで俺が俺に煽られるんだっていう。

――もしかすると長い音楽生活の中でそういう経験は初めてだったとか?

初めての経験でしたね。自分が自分に煽られるなんてあり得ないですよ。

――実際の制作期間は5ヵ月だったそうですね。

なぜ5ヵ月かかったかというと、1曲に関してどのパートもワンテイクにこだわってレコーディングしてたから時間がかかったんですね。途中でパンチイン、パンチアウトは一切なし。例えば、曲を演奏していてもうすぐ終わるって時に間違えたとするじゃないですか。そしたら、また最初から始めるわけですから。削除はせずにすべて消去。だからパソコン上には残っていないんですね。

――そのこだわりの訳というのは?

自分の中でのイメージや景色が変わるのが嫌だからですね。テイクを重ねれば重ねるほど、最初抱いた景色と変わってしまう。1コーラス目と2コーラス目が全く違うものになってしまうわけですよ。それって音は一緒だけど、弾き手が代わっちゃうくらい変化してしまう可能性があるってことなんですよ。僕はそれがいいとはどうしても思えないので。

――先程、1曲の中に3~4人のミュージシャンのフレーズが登場するなんてお話がありましたけど、例えば「SWEET MEMORIES」(松田聖子)だったら、出だしのギターはジョージ・ベンソンで、その後にエリック・ゲイルが登場しているといったようなことをアルバム・ジャケット内でコメントされてましたよね。加えて言わせていただくと、私にはさらにそこにGOROさん自身が聖子さんの傍らでギターを弾いている絵が浮かびました。そういうふうに歌がない分、リスナーも想像をかき立てられるんじゃないかなと思うんですね。

嬉しい想像をしていただいてありがとうございます。確かに想像が入り込む余地があるから聴いていて面白いと思いますよ。

――聖子さんはもちろん、それこそ山口百恵さんもそうですけど、実際に音楽番組などでご一緒されることが多かったと思いますが、今回制作する上でそういうリアルな体感みたいなものが役立ったということはありましたか?

ありましたね。百恵ちゃんにしても聖子ちゃんにしても、彼女たちが歌っているところを至近距離で見ているわけですから、こうだったなあっていうのをリアルに想い出せるんですよね。ちょっとした感じの歌い方の色っぽさが聖子ちゃんにあって、こういうふうに揺らしていたなとかね。百恵ちゃんだったら♪馬鹿にしないでよ~(「プレイバックPart2」)ってイメージはこんなイメージだったなあって。そういうことを考えながらやっていました。あとはギターを変えるだけで、ギターがそのフレーズを導いてくれるんですよね。

――他にもギターにフレーズを導かれたって感じたことはありましたか?

「ありがとう」とかね。この曲はES335っていうギターで弾いているんですよ。335ってラリー・カールトンがよく使っているギターなんですけど、そうすると間奏のフレーズがなんとなくカールトンっぽい指の動きになってしまったりするんですよ。

――それはラリー・カールトンが降りてくる感覚に近いんでしょうか?

いや、降りてくるというよりは近所でニコニコ笑っている感じですね(笑)。「異邦人」(久保田早紀)だったら、サンタナがよく使っているSGを使用してみたんですけど、自然と指がサンタナのフレーズが導き出されているというか、それこそサンタナが微笑んでいる感じはありましたね。そういえば昔、自分のスタジオにサックス奏者のデヴィッド・サンボーンやギタリストのデヴィッド・スピノザが遊びに来てくれたことがあったんですね。その時、僕がいろいろなドラマーの真似をしたプレイを彼らに見せたら大笑いされたことがあったんですよ。“GORO、何でそんなことができるんだ?”って。今回、そういうことを想い出していたんですよ。僕はこれまでに海外レコーディングをしてきていろいろなミュージシャンたちと出逢ってきて、その都度、彼らに手取り足取りたくさんのことを教わってきたことやその時々の光景とかね。ラリー・カールトンが後ろから手を添えてくれて「こうだよ」って教えてくれたりすることもあったなあ…って。

――それは凄く貴重な経験ですね。

ええ。僕はそういう経験をたくさんしてきているんですね。でも、そういうことって人に言うことでもないし、自分の中での大切な想い出だけでいいのかなと思っていたんですけどね…。ま、そんなことを想い出しながら、今回のアルバムのレコーディングをしていたんですよ。

10代の頃から素晴らしいミュージシャンたちを
知ってしまったということが大もとにある


ーーどの曲も原曲の良さを大事にしながら別の光を当てて違う輝きを引き出していますよね。例えば、「ミ・アモーレ」(中森明菜)はカリプソっぽいギターの味わいがあってドラムの雰囲気とか全体的にカリブ海の匂いがしてくる面白いアプローチだなと思っていたんですよ。

あれは全くカリブになっちゃったんですよ。もともとエレキ・ギターで弾く予定だったんですね。その予定でバックの音も作り上げていたんですよ。ところが、たまたまギターのダビングを予定していた前日に、ギターメーカーのヤイリさんがギターを1本持ってきてくれたんですよ。それがガット・ギターだったんですね。ヤイリさんが言うには「このギターと同じものをサンタナとアール・クルーが使っているんですよ」って写真を見せてくれたんです。彼らが自分たちで調べて購入して使ってくれているらしいと。それで倉庫を見たら一台だけあったので「これはGOROさんでしょ。使ってみますか?」って持ってきてくれたんですよ。それで明日のレコーディングはこれしかないなと思って、翌日、早速持ってきてくれたガット・ギターを使ったんです。そしたらいつのまにかカリプソっぽくなっちゃって。ドラムもそういうつもりで入れていたわけじゃないから、じゃあもうちょっとそっち寄りにしていこうと思ってまたレコーディングして、それでああいう仕上がりになったんですね。

――そしてラリー・カールトンが近所でニコニコ笑っている感じと先程言っていた「ありがとう」は、大人も楽しめる上質なサウンドになっていて楽しめました。

ありがとうございます。ギターはラリー・カールトン、ベースはチャック・レイニーだったんですよ。レコーディングしている時に彼がよく使っているベースのフレーズがイメージとして浮かんできたんですね。あとから8分の裏でメロディーが入ってくるにも関わらず、その裏をベースが♪ディディディ~って先に出るっていうのは普通だったら恐ろしくてミュージシャンは避けるフレーズなんですけど。それを思い切ってやっちゃっている俺は狂気だと思いましたもん(笑)。

――(笑)でも、ハマった時の快感って凄いでしょうね。

それはもう!“ハマったぁ~!”って、終わった時の快感は凄かったですよ。

――実はイントロを聴いた時に最初「涙そうそう」(夏川りみ)だとは思わなかったんですけど、沖縄の香りはあまりしなかったというか、ああいうアプローチも面白いですよね。エレキ・シタールを使ったりして。

でしょ。あれはドラム・ソロが変態チックに入ってくるので(笑)。この曲もさっき言ったようにいろいろな化学反応が起きてきたわけですよ。フォーク・ギターをエレクトリックな感じにした音が1コーラス目に出てきて、そのあとの2コーラス目からシタールを使ってみようと思ったんです。そこで沖縄からインドの方に寄って行ったんですよね、ちょっと変態チックに(笑)。そこまで行っちゃうの?って感じで。

――今回、使用されたエレキ・シタールは、15枚目のシングル「私鉄沿線」(75年)のレコーディグの時にも使われたもので、それも当時、五郎さんご自身が弾かれていたそうですね。勉強不足で申し訳なかったんですが、今回初めて知りました。

いえいえ、今まで言ったことがなかったですから。プレイヤーとして自分の作品はもちろん、新人のアルバムにもギターで参加したりしていたんですよね。クレジットを出さないという約束で、スタジオに呼ばれて弾いていたんですよ。

――トップ・アイドルという表舞台での活躍の傍ら、水面下ではスタジオ・ミュージシャンとしても活動をしていたわけですか?

ええ。時間があるとスタジオに呼ばれてね、アンプとギターを持ってひとりで黙々と弾いていたっていう。それでチャーハンなんかを奢っていただいたりしてね。もちろんギャラなしで(笑)。当時のアレンジャーとか音楽を作っている人たちは僕の個性を知っていたので、僕に弾かせてみたらどうかなっていう興味本位もあったんじゃないかと思いますけど。最近でもないけど、十数年前にけっこう有名になった曲なんですけど、その曲ではベースを弾いているんですよ。曲名が言えないのが残念ですけど。

――当時はそういうことをアピールできなかった時代ということですよね?

そういうことです。当時はそういうことがあまりにも出来すぎちゃダメだったんですよね。あの頃はスターからアイドルっていう総称が出来た頃で、アイドルと呼ばれる人たちはそういう余計なことが出来ちゃいけなかったんです。イメージが悪かったんですね。そういうふうに言われていた時代であり、ひた隠しにされた時代だったんです。だから、海外でレコーディングしていることもあまりいいイメージにはうつらなかったというか。16歳の時のロンドン・レコーディングから始まってLAやニューヨークなど約10年近く海外で続けてレコーディングを行なったんですけど、それは周囲の大人たちが五郎は本当に好きなんだからやらせておけっていう感じだっただけで(笑)。

――テレビの音楽番組とかで全面的に得意のエレキ・ギターを弾きながら歌うというパフォーマンスを始めたのは、30枚目のシングル「真夏の夜の夢」(79年)からでしたよね?

そうですね。でも、それ以前にコンサートで弾いてましたから。当然、ファンの方々は僕のプレイを見て聴いていただいてましたけど。

――先程の出来すぎちゃダメっていう当時の風潮に対して歯痒くはなかったんですか?

それ以上に好きだから、ギターを弾くことが。好きっていうことはそういうことなんですよ。好き、好きってアピールすることが僕はあまり好きじゃなかったし。もっと言ってしまえば、異常に好きになると、そんなことはどうでもいいんですよ。弾けることが嬉しいんですから。僕はモテたいからギターを弾いているんじゃない、好きだから弾いているんです。そこは例えば、モト冬樹さんみたいにモテたくてギターを始めたとかっていうんじゃないですから(笑)。

――純粋に好きで弾けることの喜びの方が優っていたということですね。そのお気持ちはとても理解できるんですが、ひた隠しにされているっていう現実を知るとやっぱり不自由な時代だったなあと思ってしまいます。

でも、公にしてはいませんでしたけど、僕を理解してくれていた人はたくさんいましたから。僕は当時、どこに行っても時間があれば、音楽を聴いていたんですよね。そういう光景を見ていた人の中に亡くなられてしまったけど玉置宏さんがいらして、玉置さんからよく「五郎ちゃんは楽屋でいつもヘッドホンして音楽を聴いていたそんなイメージしかない」って言われてましたね。好きってそういうことなんですよ。それにその頃は「虫」って呼ばれてました。「音楽の虫」って。

――「音楽の虫」って相当ですね。

だけど、僕はそれすらどうでも良かったんですよ。当時は歌番組がけっこうたくさんあったでしょ。フジテレビだったら、小野満とスイングビーバーズっていう日本を代表するビッグバンドがいらして、僕は小野さんと凄く親しくさせてもらっていたんですね。小野さんに現場で逢うと、「今回はドラムの勉強をさせてもらっていいですか?」とお願いすると、小野さんは快く「いいよ」って言ってくださって、ドラムの人と交替して座らせてもらって、ドラムの人が横で見ている中で僕が譜面を見ながら叩いたりしてたんですよ。で、五木ひろしさんがリハーサルをやっている時に僕が五木さんの曲のドラムを叩いたりして(笑)。そういうことは多々ありましたね。でも、ご本人たちは誰も全く気付いていませんでしたけど。

――誰も気付かなかったというのは、プロのドラマーにもひけをとらない正確無比なドラミングだったということしょうね。

あははは…。あ、でも、一度(西城)秀樹には気付かれましたね、「ヤングマン」を叩いていたら、バレちゃった(笑)。

――秀樹さんご自身もドラムを叩かれるから余計に気づかれたみたいな(笑)。

カッコいいことやりすぎたから、バレちゃったのかもね。そういえば、アイツも僕の歌の時に叩いたんですよ。それはまあ…歌いにくかった(笑)。その頃は一番ドラムを叩いていたかなあ。20歳から25歳まではとにかくドラムを勉強しましたね。

――それは音楽をもっと楽しむためにリズムという土台をきっちり学びたいと思ったからですか?

それ以前から叩いてはいたんですけど、本格的に始めるのが遅かったのできっちりと勉強したいと思ったんですね。いろいろなドラマーやベーシストを知ったり、一緒にやってきたりしてきて、あまりにも凄い人たちが海外にいるので。もちろん日本にもいらっしゃるんですけど、僕は10代の頃からそういった素晴らしいミュージシャンたちを知ってしまったということが大元にあると思うんですよ。だからこそ、‟世界一のベーシストになりたい”、“世界一のドラマーになりたい”、そして‟そこそこのギタリストでいたい”と思っていたんですね。それでギター以外の楽器も勉強したんですよ。

――‟そこそこのギタリスト“って言ってしまうところがカッコいいですね。

とにかく僕が出来ることは、僕自身が凄いなと思ったプレイヤーのフレーズをコピーすることだと思って、色々なアーティストのアルバムを聴いて、ドラマーやベーシストのフレーズをひたすらコピーしたんです。

――そうすることによって自分の中で消化してそれがオリジナリティーとして昇華し、独自の色へと変わっていくものですよね。

そうですね。置いておけば熟成していきますから。


楽器を替えるといろいろな人物が現れる
まさしくギターというシンガーなんです



――ではあえてお訊きしますが、今作の中で最も聴いてほしいドラミングはありますか?

自慢していいですか?

――もちろんです。

先程も話に出た「ありがとう」なんですけど、この曲の後半に向かってのハイハットワークは、おそらく今、日本で出来るのは僕以外はいないんじゃないかなと思いますね。もしやるヤツがいたらお目にかかりたい。ま、いないでしょうね。だってあのフレーズは、リック・マロッタからの直伝ですから。

――直伝とは凄い。リック・マロッタってスティーリー・ダンとか数多くのアーティストのアルバムにも参加しているセッション・ドラマーですよね。

そうです、そうです。手取り足取り教わったから。そういう意味でも彼と僕にしかできないと思いますね。

――「ありがとう」は豪華ですね、ラリー・カールトン、チャック・レイニー、リック・マロッタのフレーズが五郎さんを通して聴けるなんて。あの、ちなみに海外で教わってきた技術を日本のミュージシャンに今度は五郎さんが教えるということはあったんですか?

ありましたよ。日本のスタジオ・ミュージシャン何人かに教えたんですけど、「ダメ、できない」って。それこそ、ラウドネスのドラマーの、今は亡き樋口宗孝君にどれだけ教えたか…。こうだよって。今となってはそれも2人だけのいい想い出ですけどね。

――そういうふうにいろいろな背景を伺っているとワクワクしてきますね。

だったらもっと言ってしまいますが(笑)、「ダンスはうまく踊れない」(石川セリ/高樹澪)のマスタリングの時にエンジニアさんにもお話したんですけどね、「すみません、変態ベースで」って(笑)。ここにもいろいろなベーシストがいるんですよ。

――レゲエ調の「ダンスはうまく踊れない」も味わいありましたね。で、この曲にはどんなベーシストが顔を出しているのでしょうか?

マーカス・ミラーがいて、エイブラハム・ラボリエルがいて、一番最後にいきなりウィル・リーが出てくるんですよ、♪ンデ・ンデ・ンデ~って(笑)。それはないだろうってね、たぶんベースを弾く人ならわかると思いますよ。さっき自分のプレイに煽られると言ったけど、まさにそうでね、自分でプレイしているんだけど、マーカスであり、ウィル・リーであるわけで、彼らに煽られている感覚にもなるっていう。

――楽しそうですね。

楽しいですよ。苦しいのはギターを弾いている時(笑)。

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――えっ⁉

だから、“そこそこのギター”って言っているのはそういうことなんですよ。そうしておかないと到底じゃないけど出来ない。要はギター自体が弾かせてくれていると僕は思っているんですよ。さっき話したみたいにいろいろなプレイヤーが出てきたりするのもその曲ごとに楽器を替えているからなんですよね。これまでに海外を含めていろいろなアーティストのギターアルバムが出ていますけど、全部違うフレーズっていうのはなかなかないと思うんですね。このフレーズって前の3曲目にもあったなとか5曲目にも出てきたとか。例えば、サンタナなんてほとんど同じじゃないですか(笑)。それがまた良さでもあるんですけど。だけど、僕は今回1曲1曲出来るだけ替えていきたいと思ったんですよね。だから、楽器を替えるといろいろな人物が現れるので、ホントにいろいろな音楽を聴いてきた甲斐があったなと思います。

――アルバム・ジャケット内で使用されたギターの写真が曲ごとに掲載されていますよね。それを見た時、楽曲ごとに奏でたギターというシンガーを紹介しているんだなと思いました。

その通り!素晴らしい! まさしくギターというシンガーなんですよ。

――ギターのフォルムってよく女性に例えたりするじゃないですか?

あ、そっちに行っちゃいますか(笑)。

――はい(笑)。

ギター自体が女性だと思っていますから。女性を前にして言っていいのかと思いますが(笑)、エロいですよ。だから、弾いている時は。特に今回は女性シンガーの曲ですから。女性が歌うと切なかったりするんですけど、男って人種は“切ない”っていうのがなかなか理解しづらいんですよね。理解しているようなフリをしていますけど、実はよくわからないんですよね、“切ない”って。そこで僕は今回のアルバムで“切ない”ってことを追求しようとしたんですけど、そこで出た答えは、男にとっての“切ない”は‟限りなくエロいが似合う”だったんですよね。

――だから、トーンとかが艶っぽいんですね。

もしもそう感じていただいたのなら、そうなのかもしれませんね。

――やはり扱い方も繊細になってきたり、とか?抱え方ひとつにしても。

弾いているうちにだんだんギターに近寄っていきますよ。舐めるように近づいていく(笑)。だから、腰痛になっちゃったんですよ。やりすぎて腰痛っていうとヘンな意味にとられちゃうけど(笑)。それくらい腰痛になっちゃって。1週間に3~4日はマッサージに通って直していただいてから、またレコーディングするっていう感じでしたね。

――11曲目に収録されたボーナス・トラックの「グッド・ラック」(78年)は、五郎さん自身の28枚目のシングルですけど、本編のカヴァー曲とは全く違う向き合い方をしたという感じですか?

僕が歌った男の曲ですからね。こういう男の曲だといきなり性格が変わるんですよね。この曲をやっている時に“なんて僕って乱暴!!”って思いましたから(笑)。こんな弾き方を今までしなかったなあって。自分の曲だからというんじゃなくて、なんで男の曲だとこんなふうに弾いてしまうんだろ?って思いましたね。

――改めて男の曲と女の曲は基本的に違うんだなってことを再認識したというか?

そうですね。「グッド・ラック」を弾いた時、(ギターとの距離が)かなり離れちゃったりしてね(笑)。


音楽は聴くものというよりも
聴いて観て体感するもの



――ご自宅のスタジオに入ってしまうと時間を忘れて没頭してしまうタイプだそうですが、今回はワンテイクにこだわっていたから尚更だと思うんですよね。根が生えてしまうくらいスタジオに籠りきりみたいな。

そうなんですよ。プライベート・スタジオの小さなブースの中でやっているんだけど、それが一番便利なんですね。ドラムの丸椅子に座ってそこから動ける範囲内で(笑)。一歩でも立って移動するなんて疲れることはしない。パソコンと楽器を弾けるくらいのスタジオがちょうどいいんですね。で、今回はおっしゃる通り、僕はスタジオに籠りきりだったわけですよ。だから、なかなか家族に逢えなかったんですね。そうすると自分でも不安になってきてね、夜中に奥さんが起きた時に訊きましたもんね、「僕のことを知ってて結婚したよね?」って。結婚して13年も経っているのにね、改めてそんなことを訊いたりして。好きな世界に入り込んじゃって、ふっと一歩スタジオから表に出て違う空気を吸った時に「ヤベェ~」って思っちゃうんですよね。子供たちはどう思っているかな、まさか変態お父さんって思っているんじゃないかって心配になっちゃうんですよ。そんなことを奥さんに訊くと「大丈夫よ。お父さん凄いねって言ってるよ」って言ってくれると、また安心してスタジオの作業に没頭できるんですよね。ブースに入って6時間ぶっ続けてやるなんてことがザラですから。僕にとって6時間なんて短い時間なんですよ。普通12時間くらいは最低入っていますから。それでね、最終段階に入った時に今回のアルバムのディレクターとドラムのマニピュレーターの2人をスタジオに呼んだんですね。そしたら僕がパソコンで音の整理をぶっ続けてやっているのを見て2人が唖然と見ていたらしいんですよ。というのは、アシスタントを付けてやっていると思っていたみたいなんですよね。まさか僕がひとりで黙々とやっているとは思っていなかったみたいで。考えてみたら実際にそういう作業を今まで人にも見せたこともないわけですしね。

――完全に鶴の恩返し状態だったわけですね、以前は(笑)。

そうです(笑)。初めて見せちゃったんでけっこう驚かれたんですよ。だから、彼ら2人に悪いことをしちゃったなあって。2人も6時間ずっと付き合ってくれていたわけじゃないですか。だから翌日、謝りましたから。なんで非常識なことをしてしまったんだろうって反省しまくりでした。

――まさに音楽の虫ですね。

普通の人は有り得ないでしょうね。没頭しすぎて気付いたら、あ、もう電車がなくなるっていうところまでいっちゃったので。

ーーところで、五郎さんがギター・インストというものに初めて触れたというのはどなたなんですか?ベンチャーズとか寺内タケシさんとかいらっしゃいますけど。

そうですね。でも、その前に僕がギターを弾き始めた時の話を言うと、小学校1年生で弾き始めたんですね。最初に弾いたのはそれこそ古賀メロディーで、そういうものしか入ってこなかったんですよね。たまたま親父が少しギターを弾いていたこともあって…と言っても僕は弾いているところを見たことがないんですけど(笑)、そんな親父に口で教わったんですよ。昔の曲のメロディーを口で言ってくれるわけですよ。

――例えば「影を慕いて」とか?

そうそう。それを耳で聴いて指でこうかな、こうかなって押さえながら弾いたのが最初。でも、その前に幼稚園の頃だったかな。兄貴のために誰かからプレゼントされたウクレレを見つけたんですよね。お袋に「これなーに?」って聞いたら「そんな埃まみれのものを出しちゃダメ」って怒られて。そういうふうにダメって言われると出したくなっちゃうものじゃないですか。それでそのウクレレを出して、うちで弾くと怒られるから隣の家に持って行って弾いてたんですね。そのあとテレビを見ていたら、和田弘とマヒナスターズさんがウクレレとかギターを弾いている時に何か右手に持っているってことに気づくわけですよ。だけど、何を持って弾いているのかわからない。当時はピックなんて存在を知りませんからね、それで僕はマッチ棒が一番いいと思ってマッチ棒を使って弾いていたんですよ。弾いているうちに「五木の子守唄」なんて簡単にメロディーが弾けちゃって。とはいってもチューニングも知らないからめちゃめちゃなんだけど(笑)。

――そこが五郎さんと弦楽器の長い付き合いの始まり。

そうですね。それでさっきお話した小学校1年の時のお話になるんですけど。親父がね、質流れでギターを買ってきてくれたんですよ。

――それはガット・ギターですか?

いやガットでもフォークでもないんですよね。流しの方が昔よく使われていた鉄弦の何ともいえないギターでしたけど。そこからはもう独学ですよ。

――耳コピしながらやっていくという形。

そうそう。コードなんかは耳で聴いて想像して作っていっちゃったので、当然押さえ方なんかは違っているわけでね、指順とか。違うんだってことはのちに徐々にわかっていくんですけどね。それで小学校3年生の頃に兄貴がエレキ・ギターを買ってくれたんです。もうその頃はベンチャーズでした。当時、「ザ・ヒットパレード」という音楽番組があって、そこに寺内タケシさんが出演されてご自身の「津軽じょんがら節」とか、ベンチャーズの曲が上位に入ってくると演奏シーンを楽しめるわけですよ。そこでベンチャーズの曲を寺内さんが演奏したりするじゃないですか。それを食い入るように見て覚えるんですよね。だから、急に寺内さんのアップなんていかれると困るわけですよ。手元が見えないから。僕は手元が見たくてしょうがなかったから。そうするとまた1週間、番組を待たないといけない。その繰り返しでした。当時のエレキ全盛の時代でいえば、ギタリストとして凄かったのは日本人だと寺内タケシさんとかシャープ・ファイブの三根(信宏)さんくらいしかいませんでしたから。僕が歌手になってから23、4歳の頃かな、初めて寺内さんと共演することができたんですよね。寺内さんの曲とベンチャーズの曲を演奏することになったんですけど、そこでギターでの共演を依頼されたんですね。僕はその時、「勘弁してください」って。「憧れの人とギターを一緒に弾くなんて畏れ多いことです」と言って、ドラムを叩かせてもらったんですよ。

――のちにベンチャーズとも共演なさったんですよね?

そうです。ベンチャーズと一緒の番組で、僕はフォーク・ギターを持ってきて、皆さんはフォーク・ベースを持ってきてセッションしたんですよね。ブルースをやったりして。そしたら「GORO’Sブルースだ!」ってみんなが言ってくれて。それで「ダイアモンド・ヘッド」を一緒にやった時に途中で僕がdim(ディミニッシュ)のコードで弾いたんですね。ちょっと難しいコードを使ったんです。そしたら「なんでGORO、そんな難しいことをやっているんだ?」って言われて。僕としては昔聴いていた頃にそういう音に聴こえたから、一生懸命コピーして覚えて何十年もずっとそうと信じて弾いていたのに「違うよ、これは普通にDとFだよ」って。「えっ、そんな簡単なことだったの?」って唖然とした覚えがありますね。でも、考えてみると、そういうコードで覚えた僕の小学校4年生の時の方がセンスがいいなと思ったりしてね(笑)。

ーー先程も話の中でロンドン・レコーディングというワードが出てきましたけど、74年に発表されたアルバム『GORO LOVE IN LONDON』で海外録音を敢行なさったわけですけど、ブリティッシュ・ロックの風がたくさん吹いている73年、74年頃のロンドンの空気を体感されているのは羨ましい限りです。しかも10代の感受性の豊かな時に。

デビューしてからずっとどうしてもロンドンでレコーディングしたかったんですよ。その時にリンゴ・スターと一緒にやりたくて実はオファーしていたんです。といっても、ビートルズの初期の頃はあまり好きじゃなかったんですね。ギターを弾きながら歌うのは邪道だと思ってて、ギターはギターっていう考えだったから。だけど、69年に出た『アビイ・ロード』を聴いた時に衝撃が走りまして、“凄い、これは強力!”と思ってそこから虜になったんですよ。だからどうしてもリンゴとやりたくてオファーを出したら、なんと「OK」の返事が来たんですよ。喜んだのもつかの間、「但し条件がある」と。それは何かっていうと「当日、来るか来ないかわからない」と(笑)。

――あらららら…(笑)。

だったら、いいやってことになって、別のドラマーにお願いしたんですよね。プレイヤーたちも当時は凄い有名だったスプートニクスのメンバーがいたりして。ロンドン・ポリドール・オーケストラだったり、ウォーカー・ブラザースとかのアレンジや指揮をやっていたアイヴァ―・レイモンドがコンダクターだったり。あの時、‟なんていい音なんだろう”って、17歳の自分が感じられたのは本当に良かったと思っています。宝物ですよね。それが忘れられなくて3年間、ロンドンでレコーディングしたんですよ。

――いろいろとお話を伺っていると音楽や楽器に対する愛情のほとばしりが感じられて、音楽を楽しむひとりとして物凄く高揚してきます。

このサイトは、音楽を好きな人が集まっているとお聞きしているんですけど、僕と同じように音楽が好きな人と逢いたいですね。話しがしたい。その人の音楽話を聞きたい。ずっと聞いてあげたい。そして笑ってあげたい。「バカだなあ…」って言ってあげたい。音楽好きってそういうことじゃないですか。どれだけ知っているかという知識を言ってくる人がいるけど、そんなことはいらない。それは違う。知識として入ったものはその瞬間、感性に変わってしまうものですから。

――ギターが上達するためのアドバイスって何かありますか?

年を重ねないとわかんねーよって(笑)。僕もそうでしたからね。

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――今作の限定盤についていた「テイクアウトライブ」について伺いたいんですけど、これはQRコードを使って、スマートフォン・タブレット端末に映像コンテンツをダウンロードする仕組みだそうですね。このアイディアは五郎さん発信なんですよね?

僕の持論なんですけど、音楽は聴くものというよりも聴いて観て体感するものだと思っているんです。科学の発展途上で聴くものにするのがちょうど都合が良かった。蓄音機であったり、ラジオであったり、そこで音が聴こえた、音楽が聴こえたっていう。それがどんどんモノラルからステレオになり、ステレオからサラウンドになり、最近ではハイレゾが出てきたり。でも、例えば場末のクラブに行って黒人のおじさんがピアノを弾いて白人の女性歌手がジャズを歌っているのを観て体感して、その空気感ごと楽しむことが大事だと思うんですね。だから、音楽はこれからどんどん観て聴いて体感するっていうものに移行していくのかなと思ったんです。それで「テイクアウトライブ」のアイディアが浮かんで、そういうもののスタート地点になればいいんじゃないかなと思ったんですね。ある意味、僕個人のテレビになるのでいろいろな制限はないわけだし、不特定多数というよりは自分のことを応援してくれる人たち、僕の音楽を好きな人たちに向けて発信できるわけですから。

――では最後になりましたが、本サイトを読んでいる皆さんにメッセージをお願いします。

普通の曲って他の方に依存していることが多いと思うんですよ、楽器にしても何にしても。その中で歌だけが自分だったりするわけだけど。でも今回のアルバムは全部僕なので、ドラム、ベース、ギターを自分ひとりで丹精にプレイできたことに関して凄く満足しているんですよ。ですから、もしもアルバムを聴いていただけるのであれば、ぜひ手に取っていただきたいなと思います。

取材/文:大畑幸子 公開日:2015.03.06








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